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綾部に移住しました

東京で10年。

埼玉でまた10年。

会長と社長が生まれて来てくれてから、
私たちの故郷である人吉や福島に思いを馳せることが多くありました。

気持ちの良い温泉がたくさんあった人吉市。
上流で魚を釣った球磨川。

玄関から見えるあずま山。
毎年、夏休み早起きしてカブトムシを捕りに行ったり、
じいちゃんが仕掛けを作って鰻を釣って食べた阿武隈川。

少し足を伸ばしたらキノコも採れるし、
川遊びもできる七ヶ宿。

私たち夫婦は、北と南と離れてはいたけど、
同じように緑の深い田舎で育ちました。

都会に憧れて上京し、毎日奮闘してそれは楽しい日々を送っていたのだけど、
子供を授かってからは、それに違和感を覚えるようになりました。

大人が揉めることをあらかじめ避けるかのように掲げられた公園の看板。
作られた緑。
農薬や肥料まみれの畑。
子供を裸足で歩かせると危ないと注意され、
子供の声がうるさいとクレームに。
水遊びも泥んこ遊びも存分に出来ない。
子供の居場所がない。

そんな環境が窮屈に思え、
幼い頃、山や川でのびのびと遊んだ記憶が蘇りました。

2020年3月。
世の中には、コロナウィルスが蔓延り始め、
大きなパンデミックとなるかもしれないと囃す声も聞かれる中、
悶々としていたものは積み重なり、とっくに限度を超えていました。
5月緊急事態宣言が出される中、
一気に気持ちが関西方面へ向きました。

毎度、夕飯や晩酌をしに来てくれていたお向かいさん。
5年ほど前から、実家の福知山に帰らなければならないことをほのめかし始めました。
その方の実家には、母屋があって、離れがあって、蔵が2棟。
田畑も山もある。
「でも、今まで勤め上げては来たけど、田畑の整備の仕方はまるっきり分からない。
高山君たちが離れに住んで、畑をしてくれたら良いのに…。」

半分本気で半分冗談だったその言葉を、
私たちは真に受けた。
でも10年お向かいさんとして仲良くさせてもらって来た仲。
同じ敷地に住んで、不仲になったらもったいない。
せめて、スープの冷めない距離に良いところはないものだろうか?

緊急事態宣言中に初めて福知山市内やその周辺の場所を調べた。
空き家バンクにある物件を、夜な夜な見てはチェックした。
そこで目に留まったのが、
『移住立国あやべ』と称した、京都府綾部市のホームページだった。

京都の人はよそ者を嫌う…
そんな噂をどこからか耳にしていたからか、
移住立国と言い切る綾部にとても興味が湧いた。
移住者の受け入れも多く、興味の湧いた保育園も見つけた。

世の中は、緊急事態宣言を受け…と休業する店が多い中、
そのワードは絶対に使うまいと思った。
なぜなら、それがあと幾度となく続くことが考えられたからだ。
国に振り回されてたまるか!

和がらしの収穫が忙しいため休むと宣言し、
6月に大阪、京都の友人に会いに行きつつ、初めて綾部市を訪れた。
その時に、移住者支援の住宅に住むと市役所の職員さんに宣言して来た。
7月思いもよらず、家はまだ決まっていなかった。
でも9月には移住したかった。
なぜなら、秋口、また流行りものが再び蔓延り出して、
2度目の緊急事態宣言が出されてしまえば、
また県を跨がないようにと言われ兼ねないし、
9月には和がらしの種蒔きを始めたかったからだ。

7月1日、住む場所も決まらぬまま、
お店をやめます。綾部に行きます。
とお知らせを出し、
7月7日、再び、綾部を訪問し、住居の面談をして、
晴れて住居が決まった。

8月8日、6年と10ヶ月の実店舗を閉じ、
2020年9月1日、綾部市民となった。

またゼロからのスタート。
私たちは知り合いもいなければ、来たこともない土地へと移住した。

主かずさんは、すぐに狩猟免許を取り、
今は、鹿も猪も穴熊も自ら罠で捕り、捌いて、家族みんなで命を頂いている。

埼玉では経験出来なかった、また別の食の姿に、
より一層魅せられている。