光一元
埼玉に住んでいた頃は、病院やクリーンセンターが近くて、毎日のように救急車やゴミ収集車が店の前を往来していました。
サイレンなどの音が鳴ると、一目散で駆けて行っては、姿が見えなくなるまで手を振っていました。
それが今では、農機具や除雪車などのはたらく車にシフトしたのは、我が家の社長です。
現在、小学校1年生。将来の夢は除雪員。既に北海道かカナダに行くことも視野に入れているらしい。
去年の七夕には、
「はやくゆきがふりますように」
と願いを込めていました。
去年チラリと降った初雪は、あっという間に溶けてしまい、思ったように雪掻きは出来ないでいました。
毎日のように天気予報を見させられ(さながらその道の方のように…)「ゆきはいつ?いつふるの?どこかふってるばしょある?」と問われ続けていました。
昨晩は、雪予報がここ最近で1番濃厚でした。
布団に入っても、「ワクワクしてねられない…」と何度か起きて来たり、「かあちゃん、4時にめざまししてよ」と言われたり、何とも忙しない様子。
いつもより寝る時間が押してしまったにも関わらず、目覚ましと共にムクムクし出す社長。
その後10分起きに誤魔化しつつ、結局、わたしもこのままでは寝られないや…と、起床。
朝ご飯を食べ終わるや否や、外に駆け出して、ルンルンと鼻歌だか独り言だかを交えながら、彼の今季の作業がスタートしました。
屋根雪が落ちて来そうな場所を見計らいつつ、家の周りをまず先に。掻いた雪はかまくらにするんだ!とどんどんと積み上げていく。
わたしも途中から参戦すると、またソワソワし出し、「あぁ…下の橋のまわりもやりたいんだよなぁ…」とわたしにその場を任せたと思ったら、誰よりも食いしん坊なのに、おやつやら水分補給すらも呼んでも来やしません。
最初に帰って来たのは10時半過ぎで、ものの20分ほど。
スノーグローブをストーブで温めつつ、スペアを付け替え、すぐに飛び出して行きました。
その間、会長は出たり入ったりとマイペース。
あまり雪掻きには興味はなく、かと言って、雪では遊びたい、その程度。
社長は、会長と戯れつつも、しっかりと任務はこなし、次に帰って来たのは、14時半。
ちゃっかりおやつを平らげ、お腹いっぱいになったと思ったら、夕方まで遊び尽くして、1人で大きなかまくらと念願のミニ雪だるまも作り上げて、1日終了。
わたしは…と言うと、雪が降って喜んでいる子供たちを手伝いながらも、こんな寒さに雪まで降られてしまっては…と、震災に遭われた方々を想うことしか出来ないことにモヤモヤをぶつけていた気がします。
12年前の東北の震災後も、埼玉や主 かずさんの実家の人吉市の震災後も各地で自然災害が起きる度に、やるせない想いをしていたはずなのに、何も変わらず過ごしてしまっていることに、ここ数日、何とも言えない気持ちを抱いています。
でも、私たちに出来ることは、今、この目の前のことを精一杯楽しむこと!
この雪で大喜びする息子たち。
きっとこの雪降る季節が、思い出したくないほど苦しく辛く感じられる人たち。
同じ日本という場所に生きていても、こんなにも異なる景色。
私たちの目の前の幸せも、いつどうなるか分からないことを全てが教えてくれると思います。
どんなことにも必ず陰があり、光もある。
能登半島地震や羽田空港の事故で被害に遭われた方、お亡くなりになられた方の1日も早い復興を願います。