全く1年が終わる気がしない。
師走に入り、
去年の今頃は、
年越し蕎麦の予約承ってたな…
とか、
餅つきの準備してたな…
とか、
年越し蕎麦が終わったらカレーだな、
年賀状も用意しなきゃ、
あれもしなきゃこれもしなきゃ…
と目まぐるしく動いていたことを
昨日のことのように思い出しています。
綾部に移住し、
1つの仕事に従事するというよりも、
生活や暮らしを成り立たせるために、
いろいろな術を持って生きる人たちに出逢いました。
その中に農業は欠かすことが出来なくて、
最低限自分達の食べるものは自分達の手で、
というのが根底にあります。
そういう意味で、
私たちは完全にただの消費者に回ってしまったことに不安を覚えています。
移住して間もないこと、
そして、現在の住居が3年間の期限付き移住者支援の住宅であるために、再び引っ越し先を見据えて過ごさなければならないこと、
それらのおかげで、今まで自給自足していたものもゼロから始めたり、
取りかかれていないものがまだまだあります。
その代わり、今までやりたくても出来ていなかった
暮らしを軸に生きるということが出来ています。
会長や社長と愛でる時間がさらに増え、
夫婦穏やかな気持ちで向き合えるようになり、
ご飯を味わって食べる時間が出来ました。
これから、何かを始めるに当たっても、
この暮らしを揺るがせるような生活リズムは避けたい…
という想いがとても強くあります。
私たちは今まで懸命に働き、取り組み、
時には寝る間も惜しんでお金を生み出すことに躍起になっていました。
しかし、全てを手放すことで見えたのは、
果たしてそれが人間である私たちがすべきことだったのか、
ということでした。
私たちは、朝起きて、ごはんを頂き、
昼間身体を動かしながら、心を弾ませ、
夜、和やかな時間を過ごして布団に入る。
そうして’生きる’ということに全うする生き物なのではないかな?
と感じるんです。
去年「手放す」ことに意識したおかげで、
今年は、「私たちらしさ」を求めることが出来た1年だったように思います。
「自分に心地良く暮らすこと」
人は常に何かに懸命で、
誰に課せられたワケではない、
自分が自分に課せている何かに苦しめられている。
人と同じでなくて良いのに、
自分がどう思われているのか気になってしまう。
コロナ禍はそれがとても分かりやすく見て取れている気がします。
忘れないように、不定期で東日本大地震の動画を観ることにしています。
今日は初めて、会長と社長にも見せました。
今でも目眩がするほどの惨状が思い出され、心が傷みます。
まだまだ復興もままならない現在、
各地の震災や水害の悲劇に比べたら、
今起こっていることなんて…
そう思ってしまう自分もいます。
でも、もう後戻りは出来ない。
起きてしまったことを言っても仕方がない。
起きたことには理由があり、
それは人間全てが原因を作っている。
でも、生きることを諦めるワケにはいかない。
この1年で見えたこと。
ただただ目の前の幸せを噛み締めるということ。
そして、自分の信じる人たちと過ごすということが、
その幸せをより豊かなものにしてくれるのだと強く感じています。
私たちは1年とかそんな区切りの上にはもうなくて、
毎日毎日感謝していて、
それが1日でも長く続けば良い。
過ぎ去った1日は振り返らず、
毎日が新しい。
だからきっと、1年が終わる気がしないんだな、
と思ってます。
明日もきっと幸せで楽しい。
そう思って過ごせば、10年後も20年後もきっと幸せでいられると思います。
皆さん、良いお年を。
いつもありがとう♡
ほどほど屋 エイト
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